2012.05.08
古河の歴史14 by もも子 [まちの歴史]
〔四代古河公方足利晴氏(はるうじ)〕
高基の子晴氏は、北条氏綱(うじつな)(早雲の子)の娘と結婚した。これは公方の力を盛り返そうとして北条氏との親戚関係を作ったと考えられるが、かえって関東での北条氏の勢力を強いものにしてしまった。
その後、晴氏は上杉憲政と手を結び、身内である北条氏を攻めて(1546年川越の夜戦)力を示そうとした。
しかし、氏綱の子氏康に破れ、相模(さがみ)国波多野(はたの)(神奈川県秦野市)に追われた後、下総(しもうさ)国関宿(せきやど)(千葉県関宿町)に移された。元栗橋(五霞町)付近の島というところで1560年(永禄3年)に没した。
関宿町の宗英寺(そうえいじ)に墓所とされるものがある。
2012.04.29
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