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2012.05.08

古河の歴史14 by もも子 [まちの歴史]

前回の「古河の歴史13」の掲載はここ



〔四代古河公方足利晴氏(はるうじ)〕
高基の子晴氏は、北条氏綱(うじつな)(早雲の子)の娘と結婚した。これは公方の力を盛り返そうとして北条氏との親戚関係を作ったと考えられるが、かえって関東での北条氏の勢力を強いものにしてしまった。
その後、晴氏は上杉憲政と手を結び、身内である北条氏を攻めて(1546年川越の夜戦)力を示そうとした。
しかし、氏綱の子氏康に破れ、相模(さがみ)国波多野(はたの)(神奈川県秦野市)に追われた後、下総(しもうさ)国関宿(せきやど)(千葉県関宿町)に移された。元栗橋(五霞町)付近の島というところで1560年(永禄3年)に没した。
関宿町の宗英寺(そうえいじ)に墓所とされるものがある。



〔五代古河公方足利義氏(よしうじ)〕
義氏は父晴氏が相模国に幽閉されているとき15歳で公方となった。
古河城を修復して公方の力を示そうとしたが、上杉謙信の関東攻めなどもあって公方の力は次第に衰えていった。
義氏には氏女(うじひめ)という娘がいたが世継がなく、古河は北条氏の所領となっていった。
義氏は1582年(天正10年)に42歳で没す。
菩提寺は、香雲院(久喜市)といい、徳源院跡(茨城県指定史跡・鴻巣)に義氏の墓といわれるものがある。

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