2012.01.23
古河の歴史3 by もも子 [まちの歴史]
〔馬の放牧地〕
8世紀には国道(官道(かんどう))が建設され、官道には宿駅(しゅくえき)が設けられました。
駅には馬(駅馬)が常備された。大宝(たいほう)律令(701年)後は特に馬が重視されるようになり、諸国で盛んに馬の生産が行われました。
面白いですね! 駅(驛)という字のつくりは“馬”ですね。
古河の台地でも広く馬の放牧が行われたと考えられ、「牧野地(まきのじ)(古河地区)・駒羽根(こまはね)(総和地区)・駒込(こまごめ)(三和地区)」などの馬に関する地名が今も残っています。
深く知っていくと歴史の面白みが更に増してきますね!!
2012.01.20
古河の歴史2 by もも子 [まちの歴史]
〔雀神社〕
雀神社は、859年ごろ出雲大社(いずもたいしゃ)からの祭神を分けて祀ったとされています。
古河付近の総鎮守で大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなびこなのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)の3神をまつる郷社(ごうしゃ)で、国づくり、農業の守りの中心となった神社です。
神社名は、その頃このあたりが「雀が原」といったという説と、国を「鎮めの神」の鎮めがスズメに変化したという説があります。
雀神社・・・昔から古河の人たちにとっては、一年中お参りに行く代表的な神社でしたね。
初詣からはじまって、節分、結婚式、安産祈願、お宮参り、七五三、合格祈願、交通安全祈願、家内安全などなど、人が生きていく上で欠かせない心のよりどころ、祈りの場所でしたね。
2012.01.18
古河の歴史1 by もも子 [まちの歴史]
〜古河のことを調べた続き記事です〜
前回の「古河のこと」の掲載はここで確認
平安のころの古河
奈良時代の東北地方を治めるのに、関東地方(東国)の人々が駆り出され、そして、数回の戦いの後、蝦夷(えみし)は朝廷の支配下にはいっていきました。
平安時代になると、東国では、律令体制の矛盾を抑えられない状況が起き、朝廷は東国を重視するようになっていきました。
このころ古河に雀神社が勧請され、台地を中心に馬の放牧が盛んになったようです。
10世紀の中ごろ東国を中心に平将門の乱が起こり、武士団の成長や地方豪族の力が強まる原因ともなっていきました。
生まれたまち、住んでいるまち、あるいは勤めているまち、行った事があるまち、など少しでも関わりがあるこの古河のまちに興味を持って、その古河の昔を知ることはとても意義深いことですね!
2012.01.04
おめでとうございます by もも子 [挨拶]
明けましておめでとうございます
辰年の今年は天高く竜が昇っていく様に、
日本中の人が上昇できたら良いですね!!
もも子の今年の目標は、「あせらず、一歩一歩を大切に」
足元を固めて着実に歩を進めていきたいです。
今年も宜しくお願い致しま〜す。
☆*+:.★ ヾ(o´∀`o)ノ ★.:+*☆
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