2012.02.17
古河の歴史8 by もも子 [まちの歴史]
〔頼政神社〕
古河市錦町にある頼政神社は、この源頼政をまつったもので、次のようないわれがあります。
源頼政が平等院で自害したとき、その側にいた家来に、「わが首をもち諸国を回って、魂の安まるところを探せ。」といったというのです。その首を背負って逃げた家来は、関東までやってきて、とある小高い丘で休みました。
「さて、行ってみるか。」と持ち上げようとすると、その首が石のように重くなり、持ち上げることができなくなりました。これはきっとこの場所に葬(ほうむ)れということに違いないと考え、その場所に首をまつったと伝えられています。
そこは当時、源氏の重要な御家人の領地であった下河辺の荘(古河地方)の立崎(たつざき)でした。頼朝の一番の側近であった下河辺氏の荘内にまつられたことは、頼政にとって心の安まる地であったのでしょう。(頼政神社縁起より)
この立崎の地に、手厚くまつった祠(ほこら)(首塚)が頼政神社の始まりです。
なお、現在の頼政神社社殿は、1696年(元禄9年)当時の古河城主であった松平信輝が、祖先の墓として城内に修築したものを1913年(大正2年)渡良瀬川河川改修工事の時に、現在の錦町(三国橋近く)に移築しました。
ということは、平等院鳳凰堂の裏手境内に胴塚があり、古河の立崎の地に首塚があるということで、歴史を紐解いていくと、思いもかけない事実を知ることができるのですね!!
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