2012.03.21
第36回古河桃まつり(その1) by もも子 [イベント]
3月20日(火)古河総合公園において、
第36回古河桃まつりの開会式が行われました。
・☆・ ・☆・ ・☆・
矢澤観光協会副会長の開会宣言を合図に、華々しく花火が打ち上げられ、観光協会名誉会長でもある白戸仲久古河市長のご挨拶に続き、野村観光協会長のご挨拶、ご来賓の方々からのご祝辞と続き、好天に恵まれた開会式はとても賑やかでした。
・☆・ ・☆・ ・☆・
「今年は寒さの影響で、一輪の花も咲いていないことが何とも残念ですが、これから一輪、二輪と待ちに待ったかわいい花が咲きはじめます。多くの皆様に楽しんで頂きたいです。」
・☆・ ・☆・ ・☆・
「昨年は東日本大震災により、桃まつりの開催を見合わせました。今年はこれまでよりもすばらしい桃まつりにしたいです。」と、意気込み溢れる開会式となりました。
・☆・ ・☆・ ・☆・
また、「花の咲き具合によっては桃まつりの開催期間を4月8日(日)まで延長することもあります。」とのことでした。
・☆・ ・☆・ ・☆・
更に、桃の花を増やそうということで、市内の各小学校へ桃の苗木の贈呈があり、代表校の3校の児童と教諭が登壇し、桃の苗木の贈呈式が行われました。
・☆・ ・☆・ ・☆・
最後に、昨年の華むすめさんから今年の華むすめさんへとたすきの受け渡しがあり、今年の4人からは、「頑張って古河の観光PRに努めます。」と、頼もしい宣言がありました。
・☆・ ・☆・ ・☆・
開会式の最初と最後には古河和太鼓保存会の演奏があり、桃まつりの開催に花を添えてくれました。
・☆・ ・☆・ ・☆・
開会式に大勢の方が来場されました。V(^^)
2012.03.12
古河の歴史13 by もも子 [まちの歴史]
〔二代古河公方足利政氏(まさうじ)〕
政氏は1506年(永正3年)子の高基(たかもと)と不和になり、高基を宇都宮へ追いやった。その原因は、北条氏の進出に対して高基は同盟を考えたが、政氏がこれに反対したためとされる。1509年(永正6年)、いったん和解が成立し、高基は古河に戻ることはできたが、長くは続かず3年後再び不和になる。
1519年(永正16年)、政氏が久喜の館に隠退(いんたい)し、高基とも和解したといわれる。
二代政氏は1531年(享禄4年)に66歳で没す。
「甘棠院殿吉山道長(かんとういんでんきちざんどうちょう)」と号し、甘棠院(久喜市)に葬られている。
〔三代古河公方足利高基(たかもと)〕
高基は三代古河公方となったが、親子の不和に続いて弟義明(よしあき)(小弓御所 千葉市)との争いもあり、公方への不信感を強めてしまった。そのため、この頃関東で力を伸ばしていた北条氏の力を強くしてしまうこととなった。
高基は1535年(天文4年)(てんぶん)に古河城で没した(没年には51歳の説がある)。千光院というところに葬られたというが、場所は明らかではない。
【 前の記事へ 】