2010.11.05
古河提灯竿もみまつり応援団 その4 by もも子 [耳寄り情報]
【横山町と鍛冶町は特別な位置づけだった】
鍛冶町の人はもともと野木の住人だったのです。
江戸時代、野木のレンガ場(渡良瀬北斗乗馬クラブさんに隣接しているレンガを焼く窯がある所を昔から「レンガ場」と呼んでいる)近くの台手箱という所に住んでいた鍛冶職人は、江戸時代になって古河藩の城下町を築くため、鍛冶町に住むようになりました。
鍛冶町の人々は、現在に至るまで、野木神社の祭礼に21本のボンボリを奉納したり、七郷(しちごう)めぐりの神事にも供物を供えるなど、野木神社との結びつきは密接なのです。
“おかえり”に野木の人々も参加していたのは、横山町と野木町は江戸時代初期には行政区が一緒で、横山町は野木町に属していたからなのです。
従って、横山町の人々も野木町で行なわれていた提灯竿もみまつりに参加していました。
横山町は、江戸中期から花柳界へと発展していきました。
すると次第に、野木町で提灯竿もみまつりをやるより、賑やかで華やかな横山町の花街でお祭りをするようになっていきました。
この時の提灯竿もみまつりは、横山町と鍛冶町の住人が中心となり、その後、他の町内の人々も参加するようになっていきました。
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≪もも子のひとりごと≫
自分の存在を誇示する・・・
形や方法は違っても、いつの時代でも“アピール”は欠かせないものなのかも!!
アピールといえばこんな光景を見た事が・・・オス鳥がメス鳥の気を引くために、一生懸命羽根を広げ一心不乱に踊っている。。。
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2010.10.28
古河提灯竿もみまつり応援団 その3 by もも子 [耳寄り情報]
【七郷(しちごう)めぐり】
現在の小山市に編入されている七つの地区にある野木神社の末社を、神体の神鉾を奉じた一行が順次訪ねる神事です。
11月27日に神主さんたちが馬を煌びやかに飾って、野木神社の七つの末社を1日1社ずつめぐり、7日後の12月3日に帰ってきます。
七つの末社をめぐるので、「七郷(しちごう)めぐり」と呼ばれていました。
当時から出発日を“おいで”、帰って来る日を“おかえり”と呼び、村の人(野木の人)が竹竿に提灯をつけてお供として一緒に回りました。
12月3日の深夜から4日にかけて、古河に向かう日光街道で、七郷(しちごう)めぐりを終えた一行の御帰社(おかえり)を、提灯を手にした大勢の参拝客が出迎えます。
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