November 2012

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2012.11.23

提灯竿もみまつりのおさらい(その2) by もも子 [イベント]

今年もいよいよ「古河提灯竿もみまつり」の季節がやってきます。

「古河提灯竿もみまつり」って何?という初心者から
長年見てきたけど「古河提灯竿もみまつり」の始まりってなんだったけっ?という人、

そんな人のために、詳し〜く調べたお宝データを今年も公開しちゃいま〜す!!

関東の奇祭
第152回「古河提灯竿もみまつり」
とき:12月1日(土)小雨決行 
ところ:古河駅西口県道三国橋大聖院線建設予定地にて
 午後5時から開会式がはじまりま〜す
 午後5時20分から子ども部門の第1部がはじまりま〜す
(注:都合により内容に変更がある場合があります。)

★関東の奇祭として知られる古河提灯竿(ちょうちんさお)もみまつりは、市内の各団体が、先端に提灯を付けた約18メートルの竹竿を20人ほどで支え、矢来(丸太を縦横に粗く組んだ囲い)の中で、互いの提灯の火を消そうと激しくもみ合い、火を消された方が負け。という珍しい祭りです。
聞いたことありませんか?別名「おかえり」とも呼ばれています。

子どもの遊びで「おしくらまんじゅう」って知っていますよね。。。
実は、提灯竿もみまつりのルーツはおしくらまんじゅう!
…なのかも??
詳しくは古河提灯竿もみまつり応援団ブログにて ・・・ 。

おまつりをより楽しんでいただくために、もう一度じっくりおさらいしてみましょう!!



☆^ ^☆ 4回 【編集の都合上(その1)は割愛しています】 に分けての掲載で〜す ☆^ ^☆


古河提灯竿もみまつり応援団 その2



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2012.11.19

知っとこネット座談会 by もも子 [日記]

画像(180x99)・拡大画像(633x351)

♪♪ 11月14日午後7時、知っとこネット座談会が雪華のカフェスペースで開催されました。

♪♪ 1年半前の意見交換会以来の開催で、参加は2度目という加盟店さんに加え、初めての参加という方や、何とありがたいことに仕事を中断して駆けつけて下さった方もありました。

♪♪ 知っとこネット事務局として、「加盟店さんの応援をしたい。」というところから始まった企画でしたが、皆さんから、真剣かつ積極的な意見を出して頂き、目的達成!!と思える満足感が得られた座談会でした。

・ ♪♪ ・ ♪♪ ・

♪♪ 終始和やかな中で進められ、お店ごとの画面をプロジェクターで映し、お店ニュースなどの掲載の苦労話しなど聞きながら、問題解決のヒントやアイディア、また掲載テクニックなどが次々に出され、普段は話しをすることのない加盟店さん同士のコミュニケーションが図られたようにも思われました。
「知っとこネットをもっと盛り上げよう!」という熱い思いが語られ、中身の濃い座談会はあっという間に終了の予定時間がきてしまいました。


♪♪ その後、会場を変えて懇親会。
ここでも熱い話しで盛り上がりをみせていました。
皆さんお酒が入ると饒舌になり、意外な一面を見せるなど、とても楽しい懇親会でした。(飲みすぎた方、次の日の仕事に支障はなかったのでしょうか・・・)


♪♪ 座談会については、定期的に開催できればと考えていますので、今回参加できなかった加盟店さん、次回は是非参加してくださいね!!

♪♪ そして、今回参加された皆さん、ありがとうございました。m( _ _ )m

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2012.11.07

よかんべまつり by もも子 [イベント]


ふるさと古河を知ろう!
もっと伝えよう!!
もっともっと元気にしよう!!!
古河よかんべまつり


という副題がついた今年のよかんべまつり


画像(85x320)・拡大画像(170x640)

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2012.11.02

古河の歴史29 by もも子 [まちの歴史]

前回の「古河の歴史28」の掲載はここ



〔 戊辰戦争と古河藩 〕
徳川慶喜(よしのぶ)は1867年(慶応3年)10月、政権を朝廷に返上(大政奉還)した。
朝廷はこの年の末に幕府を廃止し、天皇のもとで政治を行う王政復古を宣言した。

新政府は徳川慶喜を新政権に加えず、領地を返すことを命じた。
旧幕府側は慶喜を立てて反対し、戊辰戦争が起こったのである。

また、新政府は全国の有力な藩主を京都に集め、これからの政治について会議を開くことを決めた。古河藩は新政府に上洛を命じられた。古河藩内では、佐幕派と勤王派に意見が分かれ悩んでいた。

小杉監物はついに佐幕派を押し切って、藩主土井利與(としとも)と共に上洛を決行した。
その結果、古河藩は戦火にあうことなく、新時代を迎えることができたのである。
監物は古河に帰って9ヵ月後の1869年(明治2年)4月10日、62歳で病死した。




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2012.10.26

古河の歴史28 by もも子 [まちの歴史]

前回の「古河の歴史27」の掲載はここ



〔 古河の開港説 〕
古河藩の元江戸家老で蘭学者でもあった鷹見泉石は、ペリーの来航を知ると、「愚意摘要」という意見書を著した。その中で、泉石は、早急に軍艦・大砲をつくり軍法を改めること、日本の軍備を整えること、兵学・航海・測量などの技術を学ぶこと、外国に協力を惜しまず礼儀正しく接することなどを説いている。

古河藩が佐幕開港派であるといわれるのは、この鷹見泉石の考え方によるところが大きいといわれている。

〔 家老・小杉監物 〕
監物は古河に生まれ、23歳の若さで古河藩の筆頭家老になり、4人の藩主(利位・利享・利則・利與)につかえた。

時代の流れを読み取る力をもって鷹見泉石の考えを尊重し、西洋の思想を早くから理解した人物である。

弟に西洋流の砲術を学ばせたり、藩医の川口信順(しんじゅん)(川口信任の孫)に古河で始めて予防接種(種痘)を行わせたりした。

多くの人材を育てて活躍させ、古河藩の技術・文化、さらに武術の発展のために大きな功績を残した家老であった。

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