November 2018

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2018.11.22

古河提灯竿もみまつりおさらい【その3】 by もも子 [提灯竿もみまつり応援団]

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「古河提灯竿もみまつり」おさらい【その3】


【横山町と鍛冶町は特別な位置づけだった】
鍛冶町の人はもともと野木の住人だったのです。
江戸時代、野木のレンガ場(レンガを焼く窯がある所を昔から「レンガ場」と呼んでいる)近くの台手箱という所に住んでいた鍛冶職人は、江戸時代になって古河藩の城下町を築くため、鍛冶町に住むようになりました。

鍛冶町の人々は、現在に至るまで、野木神社の祭礼に21本
のボンボリを奉納したり、七郷(しちごう)めぐりの神事にも供物を供えるなど、野木神社との結びつきは密接なのです。

“おかえり”に野木の人々も参加していたのは、横山町と野木町は江戸時代初期には行政区が一緒で、横山町は野木町に属していたからなのです。
従って、横山町の人々は野木町で行なわれていた提灯竿もみまつりに参加していました。

横山町は、江戸中期から花柳界へと発展していきました。
すると次第に、野木町で提灯竿もみまつりをやるより、賑やかで華やかな横山町の花街でお祭りをするようになっていきました。

この時の提灯竿もみまつりは、横山町と鍛冶町の住人が中心となり、その後、他の町内の人々も参加するようになっていきました。

〜〜もっと詳しく知りたい〜〜
おかえりの到着を待ちわびた若者たちが、野木でもみ合っているうちに、遊郭や料理屋が立ち並び、古河随一の歓楽街であった横山町で時間を潰し待つようになり、そのうち馴染の女郎衆などができると、「野木でもむよりも横山町でもみ合った方が張り合いがある」というので、次第に横山町がもみ場として定着してきました。

あるいは、古河の町中をもみ合った若者たちが最後に落ち合う場所が自然と横山町となったという事も考えられます。

いずれにしても、横山町のマチにおける機能(それは、マチが周囲の農村に対して持つ機能の一つ)が作用して、まつりがマチへ定着したと考えられます。

もみ合いの持つ意味が、暖をとることや行列の進退をめぐって争う、という肉体的、感覚的なものから、男らしさの誇示へと転換していきました。
この意味の転換が、以降のまつりの基調をかたちづくり、まつりを洗練させる契機となりました。
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≪もも子のひとりごと≫
自分の存在を誇示する・・・
形や方法は違っても、いつの時代でも“アピール”は欠かせないものなのかも!!
アピールといえばこんな光景を見た事が・・・オス鳥がメス鳥の気を引くために、一生懸命羽根を広げ一心不乱に踊っている。。。
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2018.11.21

古河提灯竿もみまつりおさらい 【その2】 by もも子 [提灯竿もみまつり応援団]

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「古河提灯竿もみまつり」おさらい 【その2】


「お祭り」を通して遥か遠い昔に思いを馳せたり、子供の頃を懐かしんだり、はたまた自分の子供や孫に見せたりとお祭りの楽しみ方はいろいろですね!!

歴史と共に生まれたその土地ならではのお祭り。
そのルーツや進化をゆっくり紐解いてみるのも醍醐味の一つかもしれません!!

【七郷(しちごうjめぐり】
現在の小山市に編入されている七つの地区にある野木神社の末社を、神体の神鉾を奉じた一行が順次訪ねる神事です。

11月27日に神主さんたちが馬を煌びやかに飾って、野木神社の七つの末社を1日1社ずつめぐり、7日後の12月3日に帰ってきます。

七つの末社をめぐるので、「七郷(しちごう)めぐり」と呼ばれていました。

当時から出発日を“おいで”、帰って来る日を“おかえり”と呼び、村の人(野木の人)が竹竿に提灯をつけてお供として一緒に回りました。

12月3日の深夜から4日にかけて、古河に向かう日光街道で、七郷(しちごう)めぐりを終えた一行の御帰社(おかえり)を、提灯を手にした大勢の参拝客が出迎えます。

〜〜もっと詳しく知りたい〜〜
行列の様子・・・
宮司・禰宜(ねぎ)・権禰宜(ごんねぎ)・の三騎が美しく飾りつけられ、御神霊の幣帛(へいはく)を神主が背負って、神鉾をもって巡行するものです。

古く建仁年間(1201−03)に始まったと伝えられ、第二次世界大戦直後まで続けられました。この行列には、各村の精進潔斎した裸体の若者たちが篠竹に高張提灯をかざして供奉(ぐぶ)したが、行列が各村の末社で一泊して次の村に向かう時、村境で双方の村の若者たちが、行列の進退をめぐって激しくも揉み合いをし、裸体で揉み合うので裸揉みといわれました。

12月3日の深更から4日の早暁にかけての「おかえり」には、七郷(しちごう)めぐりを終えた行列の御帰社(おかえり)を待ち受けようと、神社の境内や野木から古河にかけての日光街道には、竿に提灯をつけて腰に鈴をつけた大勢の裸体の人々が近郷近在から参集しました。

古河からも町内ごとに沿道に控え所を設けて出向き、この夜の沿道には、見世物や露天も立ち並び、農家も臨時に宿屋、汁粉屋、そばやとなって、詰め掛ける大勢の参詣人で賑いました。

古河でも遊郭や料理屋が徹夜で営業し、宿屋では仮泊する参詣人をなるべく大勢泊めるために、幾度も入れ替えをし、店頭には飾り夜具を飾り立てるなど盛況でした。

また、各町内では、会所の前に長竿の先端に赤い小さな提灯をつけて献灯しました。

この夜は季節柄、鍋釜も割れるというほどの寒さで、“おかえり”を待ち受ける人々は、この寒さをしのぐために、手に手に竿を持って揉み合い、暖をとったのです。

この“おかえり”の夜の揉み合いが現在の古河提灯竿もみまつりの直接の原型であり、現在でもこの祭りを“おかえり”と呼ぶ人は多いのです。
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≪もも子のひとりごと≫
当時の激しく強烈なその様子を目の当たりにしていたら、卒倒しちゃうかも!!  (@_@;)
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2018.11.20

古河提灯竿もみまつりおさらい 【その1】 by もも子 [提灯竿もみまつり応援団]

今年も 「古河提灯竿もみまつり」 の季節がやってきました。
さあ!おさらいをして より一層楽しみましょう!!




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「古河提灯竿もみまつり」おさらい 【その1】


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【 お祭りの起源 】
起源は、隣接している栃木県野木町の野木神社(江戸時代は古河藩領であった)に伝えられる神事「七郷(しちごう)めぐり」に付随した行事に由来しているとされていますが、明治初期の廃藩置県で、栃木県と茨城県とに分離されたため、古河提灯竿もみまつりとして発展してきました。

〜〜 もっと詳しく知りたい 〜〜
第15代天皇、応神天皇は、第8皇子の莵道稚郎子尊(うじのわかいらつこのみこと)を皇太子にしようとしたが、莵道稚郎子尊は、「兄(後の仁徳天皇)君を皇太子に」と推薦し、(当時は必ずしも兄が皇太子になるとは限らなかった)国譲りが起きました。

仁徳天皇の時代に、磯城奈良別君(しきならわけのぎみ)(崇神天皇第一皇子豊城入彦命四世の君)(とよきいりびこのみこと)が下野国に国造(くにのみやっこ)(今の県知事)として赴任してきました。

磯城奈良別君(しきならわけのぎみ)は、京都府下にある莵道稚郎子尊(うじのわかいらっこのみこと)の墓からその霊を野木の地レンガ場(レンガを焼く窯がある所を昔から「レンガ場」と呼んでいる)の近くの台手箱にお祀りし、後に現在の野木神社に移した。

平安最末期に常陸の国にいた源頼朝の叔父 志田三郎先生源義広が、源頼朝に対抗して挙兵した時、下野国小山朝政は野木宮を深く信敬し、当宮に引篭もり、戦略計画を立て、志田軍を追討勝利し余党をも多数討ち取りました。

源頼朝は、「鎌倉幕府開幕は、野木神社のご加護があったお陰」と、七つの村(七郷)を野木神社の神領として定め、野木神社の末社が七つの村に誕生した。

≪野木神社≫
この地方で最も古い由緒ある神社の一つで、藩政期には古河藩の領内にあって藩の鎮守・祈願所として歴代の藩主からの崇敬も厚く、一般に「神明様」として親しまれてきました。
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≪もも子のひとりごと≫
野木神社がこんなに深くかかわっているなんて驚き!!
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2018.11.05

古河 よかんべまつり by もも子 [イベント]

古河 よかんべまつり

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2018年11月3日(土)4日(日)
古河公方公園で「よかんべまつり」がありました。

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◇ 土曜日はお天気も良く人出はすごかったです。
中央の通路はいっぱいの人が行き来していました。

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◇ 中庭の芝生では、テーブル席はすぐにいっぱいになり、
レジャーシートを広げて座る人も・・・
中には、小型のテントで日よけしている強者もいました。

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◇ ステージを見て楽しみ、お買い物をして楽しみ、美味しい物を食べて喜び、一家団欒、み〜んな楽しんでいました。

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◇ JAさんのブースでは、たくさん買い込んだ女性に「奥さん、その荷物を運ぶのは筋トレだね!!」
なんて声をかけられている人もいて・・・

毎年のことながら楽しい一日でした。

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2018.11.02

接客・おもてなしセミナー by もも子 [日記]

接客・おもてなしセミナー

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☆ 10月31日(水)
古河商工会議所において「接客・おもてなしセミナー」が開催されました。

☆ 受付を担当した時、もうその時点で今日の「講師は違うな」と感じたのは、講師自らにこにこしながら歩み寄り「どんなご商売ですか?どんなお仕事ですか?」と聞いてきて、「楽しいですよ、普通の研修とは違いますよ。」と話しかけてきたからです。

☆ そして、講演中始終にこにこ。
☆ いっぺんでこれが極意だな!と直感しました。

☆ “全力で笑って、全力で拍手して、うなずいて、素直なオープンハート”

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☆ 驚きの続きは、正しいハグの仕方。
見本を見せてから「みんなでやってみましょう!!」
ということで、会場にいる参加者全員が、前の席から後ろの席へと、後ろの席から前の席へとぐるぐる回り、みんなとハイタッチ、そしてハグの実践でした。

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♪ また、誕生日のお祝いも会場のみんなでやりました。
全力で「おめでとう!」と、高らかに拍手。
お祝いの記念写真も撮る。
このような「全力」の体験をしました。



☆ そういえば、今年の甲子園の高校野球で話題になった準優勝校の金足農業高校。
生徒が校歌を胸を大きくそらして力いっぱい歌うあのスタイルは、まさしく全力だった事を思い出させました。
最初からあのスタイルで歌っていた訳でなく、一生懸命に歌った結果、あのスタイルになったのでしょうね!

☆ お客様にはもちろん「全力の笑顔で接しなければならない」と改めて感じたセミナーで、講師が言われた通り、これまでにないスタイルのセミナーでした。
参加された皆さん楽しいセミナーでしたね!!

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