2012.11.19
知っとこネット座談会 by もも子 [日記]
♪♪ 11月14日午後7時、知っとこネット座談会が雪華のカフェスペースで開催されました。
♪♪ 1年半前の意見交換会以来の開催で、参加は2度目という加盟店さんに加え、初めての参加という方や、何とありがたいことに仕事を中断して駆けつけて下さった方もありました。
♪♪ 知っとこネット事務局として、「加盟店さんの応援をしたい。」というところから始まった企画でしたが、皆さんから、真剣かつ積極的な意見を出して頂き、目的達成!!と思える満足感が得られた座談会でした。
♪♪ 終始和やかな中で進められ、お店ごとの画面をプロジェクターで映し、お店ニュースなどの掲載の苦労話しなど聞きながら、問題解決のヒントやアイディア、また掲載テクニックなどが次々に出され、普段は話しをすることのない加盟店さん同士のコミュニケーションが図られたようにも思われました。
「知っとこネットをもっと盛り上げよう!」という熱い思いが語られ、中身の濃い座談会はあっという間に終了の予定時間がきてしまいました。
♪♪ その後、会場を変えて懇親会。
ここでも熱い話しで盛り上がりをみせていました。
皆さんお酒が入ると饒舌になり、意外な一面を見せるなど、とても楽しい懇親会でした。(飲みすぎた方、次の日の仕事に支障はなかったのでしょうか・・・)
♪♪ 座談会については、定期的に開催できればと考えていますので、今回参加できなかった加盟店さん、次回は是非参加してくださいね!!
♪♪ そして、今回参加された皆さん、ありがとうございました。m( _ _ )m
2012.11.02
古河の歴史29 by もも子 [まちの歴史]
〔 戊辰戦争と古河藩 〕
徳川慶喜(よしのぶ)は1867年(慶応3年)10月、政権を朝廷に返上(大政奉還)した。
朝廷はこの年の末に幕府を廃止し、天皇のもとで政治を行う王政復古を宣言した。
新政府は徳川慶喜を新政権に加えず、領地を返すことを命じた。
旧幕府側は慶喜を立てて反対し、戊辰戦争が起こったのである。
また、新政府は全国の有力な藩主を京都に集め、これからの政治について会議を開くことを決めた。古河藩は新政府に上洛を命じられた。古河藩内では、佐幕派と勤王派に意見が分かれ悩んでいた。
小杉監物はついに佐幕派を押し切って、藩主土井利與(としとも)と共に上洛を決行した。
その結果、古河藩は戦火にあうことなく、新時代を迎えることができたのである。
監物は古河に帰って9ヵ月後の1869年(明治2年)4月10日、62歳で病死した。
2012.10.26
古河の歴史28 by もも子 [まちの歴史]
〔 古河の開港説 〕
古河藩の元江戸家老で蘭学者でもあった鷹見泉石は、ペリーの来航を知ると、「愚意摘要」という意見書を著した。その中で、泉石は、早急に軍艦・大砲をつくり軍法を改めること、日本の軍備を整えること、兵学・航海・測量などの技術を学ぶこと、外国に協力を惜しまず礼儀正しく接することなどを説いている。
古河藩が佐幕開港派であるといわれるのは、この鷹見泉石の考え方によるところが大きいといわれている。
〔 家老・小杉監物 〕
監物は古河に生まれ、23歳の若さで古河藩の筆頭家老になり、4人の藩主(利位・利享・利則・利與)につかえた。
時代の流れを読み取る力をもって鷹見泉石の考えを尊重し、西洋の思想を早くから理解した人物である。
弟に西洋流の砲術を学ばせたり、藩医の川口信順(しんじゅん)(川口信任の孫)に古河で始めて予防接種(種痘)を行わせたりした。
多くの人材を育てて活躍させ、古河藩の技術・文化、さらに武術の発展のために大きな功績を残した家老であった。
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