November 2016

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2016.11.28

提灯竿もみまつりのおさらい(4) by もも子 [提灯竿もみまつり応援団]

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おさらい 【その4】



要となる竹竿に施される工夫
「今夜だけは」と開放感たっぷりの自由が許される一夜
まつりの中に潜む人情の機微
だんだんまつりの中の世界に引き込まれていく〜〜

【竹竿は変化し工夫が加わった】
江戸時代までは、あまり長くない竹竿を1人が1本持ち、1つの灯を灯して「ました。

次第に(明治に入って)、1人1本ではなく、現在の形に変化していき、トンボやカンナをつけた長い竿で15人〜20人位で行なわれるようノなり、大きな竿の周りには、もみ手やチームの安全を守るため、小さな提灯を持った、護衛役の人をつけるようになっていきました。
「まつり」というより、むしろ「競技」といった方が良いくらい激しいものだからなのです。

横山町に集まった若者たちは、各自が自分の名前を書いた提灯を馴染の女郎衆に見せて自分の存在を示したが、これを争ううちに、次第に竿の長さが長くなり、そのため1人では持ちきれなくなって、何人かが共同で支えられるように、竿の構造が改良されていきました。

〜〜もっと詳しく知りたい〜〜
竿が長くなり、支える参加者が増えるにつれて、まつりの場所である横山町通りの遊郭や商店の軒先の瓦や樋(とい)が度々壊されるため、これを保護する目的で、通りの両側に矢来(やらい)を組んで「もみ合いの場所はこの矢来の中だけ」と限定しました。
この矢来には、他にも観客の危険防止のため作られる。とも言われています。こうして現在の「古河提灯竿もみまつり」の形態ができあがっていきました。

提灯竿はきわめて重要で、提灯と竿に関する各団体の関心は大きく、加工と作製は丁寧かつ入念に進められ、特に趣向を凝らす余興竿については、部外者には漏れないように慎重に扱われます。

竹竿は、もみ手の支えとなり、更には相手の竿とかみ合わせるために、強度と軽さが必要とされ、その入手はとりわけ慎重になります。

普通で八・九間(約15・6メートル)、最も長いのは十三・四間もあるといいます。
各町内の会所や空地に運び込まれた竹は、曲がりが矯正され、堅く軽くするために油抜きが施されますが、1年目の竹よりも2年目以上のものの方が軽くて丈夫であるといわれています。

次にカンナと呼ばれる細竹が、竿の下から二間位のところに4、5本取り付けられ、カンナは、十間以上もある竿を倒れないように支える補助棒で、1本のカンナに4、5人がついて支えます。

そうすると竿全体が浮き上がってしまい、全体に不安定となって提灯の火も消えやすくなりがちです。
これを防ぐために、竿の根本にトンボと呼ばれる細木が竹竿を貫通して十字に2本入れられます。

トンボの上には胴元が乗って、全体の重しになると同時に、竿の移動やカンナの位置などの指揮をとります。

胴元はきわめて重要で、町内頭や熟練者が努めるのが常で、カンナや胴元及び胴元の護衛など30人近くが1本の竿を支え、倒れないように引きずるようにして移動させるのがコツであるといわれています。

出来上がった提灯は、町内の会所前に設けられたリン場に立て掛け、夜には火を入れます。
競技竿と余興竿
先端に付けられる提灯と竿の長さに応じて、競技竿と余興竿の二種類に大別でき、競技竿は余興竿よりも長く、竿の先端には直径8寸(約24センチ)ほどの丸八という提灯が付けられます。

余興竿は自由もみに使われ、大人も子供も、順位を気にせず楽しむ事が出来ます。

競技竿の長いものから順に一番竿、二番竿と呼ばれ、一番竿には提灯に加えて幣束と笹とを取り付け、最後の競技に持ち出されます。

鍛冶町の一番竿には野木神社の神札が固定されます。この一番竿は、“おかえり”が野木神社であった頃は、各町内の会所に立てて献燈したということです。

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2016.11.25

提灯竿もみまつりのおさらい(3) by もも子 [提灯竿もみまつり応援団]

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2016.11.21

提灯竿もみまつりのおさらい(2) by もも子 [提灯竿もみまつり応援団]

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「お祭り」を通して遥か遠い昔に思いを馳せたり、子供の頃を懐かしんだり、はたまた自分の子供や孫に見せたりとお祭りの楽しみ方はいろいろですね!!

歴史と共に生まれたその土地ならではのお祭り。
そのルーツや進化をゆっくり紐解いてみるのも醍醐味の一つか烽オれません!!

おさらい 【その2】


【七郷(しちごうjめぐり】
現在の小山市に編入されている七つの地区にある野木神社の末社を、神体の神鉾を奉じた一行が順次訪ねる神事です。

11月27日に神主さんたちが馬を煌びやかに飾って、野木神社の七つの末社を1日1社ずつめぐり、7日後の12月3日に帰ってきます。

七つの末社をめぐるので、「七郷(しちごう)めぐり」と呼ばれていました。

当時から出発日を“おいで”、帰って来る日を“おかえり”と呼び、村の人(野木の人)が竹竿に提灯をつけてお供として一緒に回りました。

12月3日の深夜から4日にかけて、古河に向かう日光街道で、七郷(しちごう)めぐりを終えた一行の御帰社(おかえり)を、提灯を手にした大勢の参拝客が出迎えます。

〜〜もっと詳しく知りたい〜〜
行列の様子・・・
宮司・禰宜(ねぎ)・権禰宜(ごんねぎ)・の三騎が美しく飾りつけられ、御神霊の幣帛(へいはく)を神主が背負って、神鉾をもって巡行するものです。

古く建仁年間(1201−03)に始まったと伝えられ、第二次世界大戦直後まで続けられました。この行列には、各村の精進潔斎した裸体の若者たちが篠竹に高張提灯をかざして供奉(ぐぶ)したが、行列が各村の末社で一泊して次の村に向かう時、村境で双方の村の若者たちが、行列の進退をめぐって激しくも揉み合いをし、裸体で揉み合うので裸揉みといわれました。

12月3日の深更から4日の早暁にかけての「おかえり」には、七郷(しちごう)めぐりを終えた行列の御帰社(おかえり)を待ち受けようと、神社の境内や野木から古河にかけての日光街道には、竿に提灯をつけて腰に鈴をつけた大勢の裸体の人々が近郷近在から参集しました。

古河からも町内ごとに沿道に控え所を設けて出向き、この夜の沿道には、見世物や露天も立ち並び、農家も臨時に宿屋、汁粉屋、そばやとなって、詰め掛ける大勢の参詣人で賑いました。

古河でも遊郭や料理屋が徹夜で営業し、宿屋では仮泊する参詣人をなるべく大勢泊めるために、幾度も入れ替えをし、店頭には飾り夜具を飾り立てるなど盛況でした。

また、各町内では、会所の前に長竿の先端に赤い小さな提灯をつけて献灯しました。

この夜は季節柄、鍋釜も割れるというほどの寒さで、“おかえり”を待ち受ける人々は、この寒さをしのぐために、手に手に竿を持って揉み合い、暖をとったのです。

この“おかえり”の夜の揉み合いが現在の古河提灯竿もみまつりの直接の原型であり、現在でもこの祭りを“おかえり”と呼ぶ人は多いのです。

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2016.11.18

提灯竿もみまつりのおさらい(1) by もも子 [提灯竿もみまつり応援団]

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今年も、もうすぐやってきます
「提灯竿もみまつり」
6回にわたり、おまつりのおさらいをしましょう
これであなたも提灯竿もみまつりの達人
おまつりがより一層楽しめちゃいま〜す!!


おさらい 【その1】

【 お祭りの起源 】
起源は、隣接している栃木県野木町の野木神社(江戸時代は古河藩領であった)に伝えられる神事「七郷(しちごう)めぐり」に付随した行事に由来しているとされていますが、明治初期の廃藩置県で、栃木県と茨城県とに分離されたため、古河提灯竿もみまつりとオて発展してきました。

〜〜 もっと詳しく知りたい 〜〜
第15代天皇、応神天皇は、第8皇子の莵道稚郎子尊(うじのわかいらつこのみこと)を皇太子にしようとしたが、莵道稚郎子尊は、「兄(後の仁徳天皇)君を皇太子に」と推薦し、(当時は必ずしも兄が皇太子になるとは限らなかった)国譲りが起きました。

仁徳天皇の時代に、磯城奈良別君(しきならわけのぎみ)(崇神天皇第一皇子豊城入彦命四世の君)(とよきいりびこのみこと)が下野国に国造(くにのみやっこ)(今の県知事)として赴任してきました。

磯城奈良別君(しきならわけのぎみ)は、京都府下にある莵道稚郎子尊(うじのわかいらっこのみこと)の墓からその霊を野木の地レンガ場(レンガを焼く窯がある所を昔から「レンガ場」と呼んでいる)の近くの台手箱にお祀りし、後に現在の野木神社に移した。

平安最末期に常陸の国にいた源頼朝の叔父 志田三郎先生源義広が、源頼朝に対抗して挙兵した時、下野国小山朝政は野木宮を深く信敬し、当宮に引篭もり、戦略計画を立て、志田軍を追討勝利し余党をも多数討ち取りました。

源頼朝は、「鎌倉幕府開幕は、野木神社のご加護があったお陰」と、七つの村(七郷)を野木神社の神領として定め、野木神社の末社が七つの村に誕生した。

≪野木神社≫
この地方で最も古い由緒ある神社の一つで、藩政期には古河藩の領内にあって藩の鎮守・祈願所として歴代の藩主からの崇敬も厚く、一般に「神明様」として親しまれてきました。

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2015.12.02

提灯竿もみまつり直前情報(6) by もも子 [提灯竿もみまつり応援団]

「古河提灯竿もみまつり」おさらい【その6】



「古河提灯竿もみまつり」の歴史やそれに関連する事柄が分かると、もっともっとより楽しく観ることが出来るのではないかなぁ!という発想で連載してきましたが、これまで書かれなかった小さな事柄を羅列してみました。

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