2012.07.06
古河の歴史24 by もも子 [まちの歴史]
〔 河口信任(かわぐちしんにん)と「解屍編」(かいしへん) 〕
河口信任は1736年(元文元年)5月9日、唐津(佐賀県)で誕生した。
幼少期は藩校盈科堂で学び、18歳で見習い医師になり医学への道を志し、長崎で遊学、栗崎流の外科奥義免許皆伝を習得した。
信任はオランダの人体解剖を特に研究し、1770年(明和7年)京都で自ら解剖刀をとって解剖を行い、取り出した臓器の一つ一つをオランダの医学書と照らし合わせ、その蘭書の正しさを知って大変驚いたという。
そして、熱心に研究した解剖の結果をまとめ、1772年(明和9年)に「解屍編」(かいしへん)という人体解剖の図書を刊行し、日本の医学の発展につくした。
このとき信任は37歳であった。
長崎で蘭学を学んだ信任は、古河藩で西洋の近代的な学問や医学を築き育ててくれたのである。
トラックバック
トラックバックURL
http://www.e-koga.info/momoko/tb.php?ID=445